当法人では近隣の大学、専門学校や高校と連携を図っています。

例えば授業やセミナーへの講師派遣、実習生の受け入れや実習指導者交流会に参加しての意見交換などがあります。

連携の目的は、学生のみなさんに「福祉」という仕事の魅力を発信していくことです。

次代の福祉を支えるマンパワーが1人でも多くなって欲しいと願い、自分たちにできることを考えながら連携を図っています。

同時に職員にとっても「伝える」という行為を通してスキルアップの良い機会となっています。

社会福祉法人にとって、未来の福祉を担う力を育むことは重要な役目と考えています。

それが結果的には地域の福祉力をアップさせることになり、地域のみなさまが「安心して生活ができる」事につながると信じています。

これからも学校と連携しながら地域貢献を続けていきたいと考えています。

令和5年度の連携

【講師派遣】
◆大学
・関西福祉大学 社会福祉学部
・神戸医療未来大学 社会福祉学部
・兵庫大学 生涯福祉学部

◆専門学校
・神戸医療福祉専門学校 介護福祉士科
「認知症の理解」「人間関係学」「介護課程」など

◆高等学校
・兵庫県立明石南高等学校
2年生「生活と福祉」1クラス(5月〜翌2月)
3年生「社会福祉基礎」3クラス(5月~翌1月)

◆中学校
・明石市立高丘中学校
3年生「家庭科(高齢者とのかかわり)」

・明石市立魚住東中学校
3年生「家庭科(高齢者とのかかわり)」

令和2年度から令和4年度の連携

【講師派遣】
◆大学
・関西福祉大学 社会福祉学部
・神戸医療未来大学 社会福祉学部
・神戸学院大学 総合リハビリテーション学部
・神戸女子大学 健康福祉学部

◆専門学校
・神戸医療福祉専門学校
「認知症の理解」「人間関係学」「介護課程」など

◆高等学校
・兵庫県立明石南高等学校
2年生「生活と福祉」1クラス(5月〜翌2月)
3年生「社会福祉基礎」3クラス(5月~翌1月)

◆中学校
・明石市立高丘中学校
3年生「家庭科(高齢者とのかかわり)」

◆小学校
・明石市立山手小学校
4年生「SDGs×福祉」

【実習等受入状況】
◆社会福祉士実習
・川崎医療福祉大学 医療福祉学部
・関西福祉大学 社会福祉学部
・神戸学院大学 総合リハビリテーション学部
・兵庫大学 生涯福祉学部

◆介護福祉士実習
・神戸医療未来大学 社会福祉学部
・神戸女子大学 健康福祉学部
・神戸医療福祉専門学校 介護福祉士科
・兵庫県立総合衛生学院 介護福祉士科

◆セラピスト実習
・神戸学院大学 総合リハビリテーション学部

◆地域保健福祉介護実習
・神戸大学 医学部

◆高校生インターンシップ
・兵庫県立明石清水高等学校
・兵庫県立明石南高等学校

◆中学生トライやるウィーク
・明石市立江井島中学校
・明石市立大久保中学校
・明石市立大久保北中学校
・明石市立高丘中学校
・神戸市立岩岡中学校

◆教員免許取得課程等介護体験
※コロナ禍のためカリキュラム変更となり休止

【交流】
◆明石市立高丘中学校
・吹奏楽部による定期演奏会
◆うみの風こども園
・交流事業/ギフトス
◆フルーツバスケット保育園
・交流事業/ギフトス
◆明石市立松蔭保育所
・交流事業

【過去の実績】

平成28年度〜令和2年度 学校との連携実績
平成24年度〜平成27年度 学校との連携実績

活動報告 「長島愛生園へ」 2019年8月8日  神戸医療福祉専門学校との連携

1.はじめに

神戸医療福祉専門学校における授業の中で人権教育として、「ハンセン病の歴史を知る」という内容での講義を行った。その際、介護福祉士科学科長の由良先生と授業外で長島愛生園への見学実習の必要性について協議をして見学実習を企画した。長島愛生園の見学実習は職員にとっても学びの機会になるため、法人内の職員の参加も募り、職員研修としても位置付けられるのではないかと考えた。法人内の職員4名、神戸医療福祉専門学校の学生12名で見学実習に参加した。

2.主な目的と効果

(1)神戸医療福祉専門学校の学生への人権教育(授業の一環ではあるが希望者のみ)

介護は体だけではなく、心やその方の人生(生き様)を含めて支援することを知ってもらう。

(2)三幸福祉会の職員への研修

共生型サービスを取り組んでいく中で、高齢者介護以外の当事者から声を聞く機会となる。

(3)神戸医療福祉専門学校の学生と三幸福祉会の職員の交流

実習に来ていない学生と法人との関係性をつくり交流を深める。

3.歴史館見学

ハンセン病政策の概要について見学担当者の森様より説明をうけた。

ハンセン病はかつてらい病と呼ばれ、遺伝病と信じられていた感染症である。発病すると末梢神経が侵され、知覚麻痺がおこった結果手足や顔面の変形など後遺症が残るものである。天から受ける罰や報いの病として恐れられ、偏見、差別の対象になりやすかった。

現代の医学において、「ハンセン(らい)病は、らい菌によって引き起こされる慢性の細菌感染症の一種であるが、感染力及び発病力がいずれも弱く、ほとんどの人に対して病原性をもたないため人の体内にらい菌が侵入し、感染が成立しても、発病することは極めて稀であり、又発病しても、適切な治療により、治癒する病気である。」とされている。

日本におけるハンセン病政策は明治末期の1907年に施行された「癩予防二関スル件」から始まった。これはらい病を発症し、行き場をなくして放浪する「放浪癩」と呼ばれる患者を療養所に入所させる、救済を目的とした法として施行された。「癩予防二関スル件」の条文には、らい病であると診断した医師は消毒その他予防法の指示をだすよう明記され、行政官庁への報告が義務付けられた。1931年同法を改正した「癩予防法(旧法)」はらい菌の絶滅を目的としており、らい患者の職業選択を制限し、らい患者が触れたもの、使用したものは病毒に汚染されているとしている。療養所の入所に関しても、放浪癩を入所対象としていた「癩予防二関スル件」に対して、「癩予防法(旧法)」では在宅患者も収容の対象として規定された。事実上の強制収容の始まりである。

「癩予防法(旧法)」は、地方自治体が主導してらい患者を隔離、収容する「無らい県運動」が全国的に推進されるきっかけとなり、広く国民に感染力の強い恐ろしい病であるとの誤解と偏見を生むこととなった。戦後間まもなく治療薬プロミンによりハンセン病は治療可能な病となったが、差別や偏見の意識は根強く残り続けた。1953年新たな「らい予防法(新法)」が国会に提出された際に、治る病として患者らはストライキに打って出るが、世論の支持を集めることができなかった。これは国民感情のなかに差別や偏見の意識が蔓延していたからだと言える。「らい予防法(新法)」において不当な差別的扱いをしてはならないと定めているが、消毒その他予防法を講じる必要を規定し続け、都道府県知事の権限で患者を療養所に収容できることとしている。

1996年に「らい予防法(新法)」が廃止されるまで、40年以上もの間にわたって法の下で隔離、収容が行われ、差別や偏見が助長されていた。1996年成立の「らい予防法の廃止に関する法律」をもって患者の医療、福祉、生活の維持継続は保障されることとなったが、人権侵害に対する謝罪と国による加害補償は規定されなかった。

患者らは人権侵害による人生被害を訴え、一部の療養所入所者が国を相手に裁判を起こした。これが「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」であり、国の法的責任が認められ、補償対策が始まる契機となる。これをもってハンセン病問題は患者と国の間で全面的な和解が成立した。2019年8月時点で長島愛生園には149名の元患者が生活しており、その平均年齢は85歳を過ぎ、平均在園年数は61年となっている。

4.歴史回廊散策

島内の史跡、収容桟橋、収容所(回春寮)、監房、納骨堂を歩いて見学した。入所者の25%が視覚に障害をもっており、島内には曲がり角ごとにスピーカーが設置され、ラジオが流されている。目の不自由な入所者はラジオの音を頼りに移動できるような工夫がなされている。

①収容桟橋

1939年、収容が行われていた浜に桟橋が設置され、多くの入所者が上陸した跡地。当時園内では職員と入所者の生活区域は厳しく分けられていたため、職員通勤用の桟橋とは異なった場所に設置されている。収容時、家族などの付き添い者も桟橋までしか入ることができず、被収容者にとって社会や家族と別れの場所となった。

②収容所(回春寮)

収容されるとはじめに通される建物。歴史館は改装され、きれいに整備されているが回春寮は当時のまま保存されている。各種の検査や手続きが行われ、これまでの名前を捨て偽名を名乗って生きることを決意した被収容者も多くいた。現金や懐中電灯、カメラなどの禁止物品は取り上げられた。現金は園内通貨と交換され、懐中電灯を取り上げるのは逃走を妨げるためである。被収容者はクレゾールを満たした消毒風呂に入ることを強要された。

③監房

1930年の開園と同時に設置された、素行不良の被収容者への懲罰を目的としたもの。秩序維持を目的として設置されたが、実際には逃走した者を多く収監した。監房への収監を決める懲戒権は愛生園の園長に与えられたため裁判などが行われることがなかった。監房が使用されていた当時、園内が治外法権であったことを物語る史跡である。現在は劣化が強く、一面の壁が残されているのみである。

④納骨堂

ハンセン病に対する差別や偏見は患者のみならず、その家族にも向けられため、遺骨を引き取ることも難しかった。遺骨を受け取ることで、「らいの家(家系)」と差別されることを恐れたためである。長島愛生園で亡くなった入所者は平成27年(2015)の時点で3.647名に上るが、そのほとんど(3600柱以上)が園内にある納骨堂で祀られている。

5.語り部の話

火曜、水曜、木曜日の午後に入所者である元患者が語り部活動を行っている。ハンセン病問題についての家族訴訟で国が控訴を断念した報道を受けて歴史館への見学希望者が増加しているとのこと。見学当日は語り部の方の体調不良を理由に、DVDの視聴で語り部の話を聞くことになった。自分の病気のせいで弟の縁談が破談したこと、自ら覚悟を決めて愛生園へきたこと、肉親がなくなっても連絡のひとつも寄こさなかった家族の恨みなどが語られた。島外へ自由に出れるようになってから4回、両親の墓参りに行ったそうだが、あともう1回行きたいけど今の体調じゃ無理かな、と語られた。隔離されて、自由もなく、差別や偏見の目にさらされる日々を振り返り、苦しみがあったから喜びがあると話された。両親の訃報を受け取ることも、盆や正月に墓を参ることも、誰に制限されるべきでないことを制限され続けた人生だった。DVDには20名ほどの証言が記録されており、全てを視聴すれば5時間ほど掛かると聞いた。現在、語り部活動をしておられる入所者はわずか6名で、82歳から91歳の入所者であるとのことだった。ハンセン病が優生保護法の対象疾患となっていたことから、その子孫はおらず長島愛生園での貴重な証言はこの6名が語るのみである。

6.見学実習に関するアンケート

参加した学生、職員を対象にアンケートを実施した。

①見学実習に行って学んだこと、感じたこと

ハンセン病についての周りの間違った認識によって長島に暮らす人は人間扱いされず、差別的な目で見られ、本土の人にばれないように名前まで変えていることに衝撃を受けた。この歴史について知識がなく、見学実習への参加をきっかけに知ることができました。ネットの情報だけでは学べないものを実際に見学することで感じ取ることができたと思います。授業を通して、長島愛生園、ハンセン病問題を初めて知りました。治療薬があり、もう治る病気だとわかりました。顔で判断し、差別することはひどく、差別がなくならない理由はここにあると思いました。ハンセン病について、聞いたことはあったが、内容は詳しく知らなかった。歴史から詳しく知ることができてよかった。特に舌読(末端に神経麻痺があるため、舌で点字を読み取ること)をしている元患者の写真が印象に残っています。私はあの1枚の写真から人間の命の強さを感じることができました。ハンセン病の方たちは自分たちで色んな活動をしたり、ハンセン病のことを知らない人がたくさんいたせいで、とても苦しい思いをしたことや、偽名を使って生活していたことを学んだ。

ハンセン病について知ることができ、興味がもてました。今までテレビでしか聞いたことがなく、感染する病気ということは知っていた。感染力が弱く、治る病気であることは知らなかった。行くまではハンセン病の方はかわいそうなどのイメージがありました。長島でみんなで一緒に力を合わせて生活し、橋をかけたり高校を作ろうと声をあげて、何十年もかけて叶えた事実を知り、その強さを感じた。周りにいる人に話し、伝えることは自分にもできることだと思う。

盲目の方やハンセン病の後遺症の残る方にとって過ごしやすい工夫がされていると感じた。曲がり角ごとにラジオを設置するのは素敵な工夫だと思った。居住している環境の見学ができれば、様々な工夫があって学びになると思いました。

自分では想像のつかないほどの苦痛や苦労があっただろうけど、強く希望を忘れず生きている方々に力をいただいたような気持ちになった。

②今日の学びを今後、活かすとしたら?

ハンセン病だった人は平均年齢が85歳を超え、語れる人が少なくなっている。今でもハンセン病に対して間違った知識を持っている人がいるため、そんな人たちのために語り継ぎたい。案内の方がおっしゃられたように見学で学んだ者が次の方へ語っていくことがハンセン病問題を風化させないことに繋がると思うので、一人でも多くの人に伝えることが私にできることかなと思います。まだまだ知らないことがたくさんある思うため、たくさん勉強します。

今後、ハンセン病だけでなく、その他の病気を持っている人に差別的な発言をした人がいたら、「それは違うやろ」と言える人になろうと思います施設に入職した際や街中でも障害をもつ方に出会うこともあると思うので、差別や先入観を持たずに接するよう心掛ける。今日学んだことを後世に伝えていく。知らない人たちは感染すると思っているので、「治る病気だよ」と伝えていきたい。今日帰ったら、家族にハンセン病の話をしようと思います。今まで自分とは関係のないことだと思っていたが、見学をしてみて、同じ人間の変わらない姿、生活が見えたような気がしました。他人ごとではなく自分のことのように考えないといけないと感じました。一人でも多くの人に愛生園のこと、ハンセン病のことを伝えて、素敵な「長島」に来てもらいたい。

7.おわりに

元らい患者は高齢になり認知症を発症した者、日常的に介護が必要な者も多い。また、優性保護法の対象となったことで、子孫が残らず、ハンセン病問題は重大な社会問題であるにも関わらず、風化しつつある問題であるといえる。

法に基づく強制収容によって人権が蹂躙された事実を後世に語り継いでいくこと、偏見や差別をなくしていくことが必要である。ハンセン病に関する法律によって、らい患者は90年の長きにわたり人権の侵害を受け続けた。ハンセン病政策を推進した国や、無らい県運動によって強制隔離に加担した地方自治体の責任は重く、国賠訴訟によって違法性が認められた。しかし、ハンセン病政策推進の背景にはらい菌からの祖国浄化や、らい患者の救済を意味する救らい思想が働いていたことを忘れてはいけない。法に定める強制力は強く、その時代を生きた人は正義感のもとにハンセン病政策の推進に取り組んだことが予想できる。

保健、福祉、医療など我々福祉職を取り巻く、環境は法制度により規定されている。常に新しい知見を吸収し、世の中をより良い状態に、社会福祉の実践にあたる必要性を再認識した。この度は貴重な見学実習の機会を与えていただきありがとうございました。法人の力添えによって、「先生らしいこと」ができたように感じています。

今回の見学実習が参加された皆さんの感性に良い影響を与えることができたなら幸いです。平均年齢が85歳を超え、子孫がいない人権被害の被害者である元患者には、語り継ぐ時間がありません。社会問題に目を向け、興味を持つことが差別や偏見を解消する一歩となります。この報告書を読み、興味を持たれた方がおられましたら是非「長島」へ行ってみてください。

報告書作成者
老人保健施設 清華苑養力センター
介護支援専門員
大中由宣